急増するベンチャー企業のM&A - 買い手企業が法務面で気をつけるべき3つのポイント(2) 買収後に問題となるキーパーソンのリテンションと補償請求権の保全策

コーポレート・M&A

 前回は、買い手企業の立場から、ベンチャー企業のM&Aを進めていく上で特に気をつけておきたい法務上の留意点のうち、複数の売り手が存在することに伴う問題について解説しました。

 今回は、経営者などキーパーソンのリテンションプラン設計と、クロージング後の補償請求権の保全策について解説します。

キーパーソンのリテンションプラン設計

 ベンチャー企業では、経営者、経営陣またはチームといった人材がその競争力、企業価値の源泉であることから、ベンチャー企業のM&Aも人材の能力に着目して行われることが少なくありません。ときには、買い手はベンチャー企業の事業には関心が低く、(例えばエンジニアとしての)経営者の才能や、チームの労働力のみを買収の目的として行うM&Aもあります。このような人材獲得を目的とするM&Aは、「アクハイア(acq-hire)」と呼ばれます1

 その場合、経営者株主をはじめとするキーパーソンには、買収後も引き続きベンチャー企業またはその親会社となった買い手のもとで、役員または従業員として働いてもらう必要がありますが、買収実行後すぐに辞められてしまっては、何のために高額な対価を支払って買収したのかわかりません。そこで、買収後、経営者株主をはじめとするキーパーソンがキャピタルゲインを得た後でも業績向上への意欲を失うことなく、引き続きモチベーションを持って働いてもらうためリテンションプラン・インセンティブプランが必要です2

 なお、ベンチャー企業のM&Aにおいて、このようなリテンションプラン・インセンティブプランは、対象会社であるベンチャー企業の買収条件と同じくらい重要なものですから、多くの場合、クロージング後ではなく、株式譲渡契約交渉と並行して条件を詰めていくことが望まれます。これらのリテンションプラン・インセンティブプランは、株式譲渡契約のポストクロージング事項として位置づけたり、または買い手企業と経営者株主との間で別途締結する経営委任契約に規定するなどして明文化することになります。

業績連動報酬・給与

 まず、キーパーソンに業績連動報酬・給与を付与することが考えられます。この際に問題となることがあるのが、親会社となる買い手企業グループの報酬・給与体系との整合性です。特に、伝統的な大企業が買い手となる場合、終身雇用・年功序列という雇用慣行を前提として、これらのキーパーソンに十分なインセンティブを付与できるような報酬・給与体系になっていないことがあります。

 もちろん、買収してきたベンチャー企業だけは例外的に他のグループ企業とは別の報酬・給与体系にすることは法的に可能です。しかし、そのような買い手企業では、買収してきた会社のみ特別扱いすることは、既存のグループ管理規程から外れる対応を要することや、他のグループ会社との公平の観点から、人事の方針として実現が難しいかもしれません。これは、グループ会社の統一的な人事方針の必要性と、グループ企業各社の個性、特性を活かせるような人事制度にして業績向上を図る必要性との調和をどこに見出すかという、いわばグループガバナンスの問題の一環といえます。

親会社のストックオプション

 ベンチャー企業の役職員に対して親会社となる買い手のストックオプションを付与することも考えられます。もっとも、ベンチャー企業の役職員が引き続きそのベンチャー企業で勤務する場合には、親会社グループ全体の業績と連動している親会社のストックオプションでは、業績向上に向けたモチベーションが維持できない可能性があるという問題があります。

アーンアウト

アーンアウトとは

 経営株主との株式譲渡契約においていわゆるアーンアウト(Earn Out)条項を設けることも考えられます。アーンアウト条項とは買収対価の取り決め方法の1つで、クロージング日において一定の譲渡対価を支払うことに加えて、クロージング日以降一定期間における対象会社の売上や利益などの一定の財務指標や製品の開発等のマイルストーンの達成を基準として、かかる財務指標やマイルストーンが達成された場合には、買い手は追加で譲渡価格の支払いを行う規定をいいます。

 アーンアウト条項は、対象会社の将来の事業計画の達成可能性についてM&Aの当事者間で合意できない場合に、相互の見解の不一致を埋めるために活用されますが、経営者株主にとっては、クロージング後の業績達成度合いによっては追加で譲渡対価の支払いを受けられますので、リテンションプラン・インセンティブプランとしても機能します。

経営者株主に一部の株式を継続保有してもらう方法

 なお、アーンアウトに類似の方法として、買い手はクロージング時点では発行済株式のすべてを買収せず、経営者株主にマイノリティ持分(例えば5~10%程度)をクロージング後も継続保有してもらい、業績向上の程度に応じて一定期間経過後に買い手が残りの保有株式も買い取るという方法があります。

 すなわち、買い手と経営者株主との間で、買い手は一定期間経過後に経営者株主に対するその保有株式のコールオプション(買い取る権利)を持つこと、その際の買取価格は一定期間経過後の財務指標の達成度に応じて算出される数値とすることを、買い手企業と経営者株主との株式譲渡契約または株主間契約であらかじめ明記しておくことが考えられます。

 この場合、前述の一般的なアーンアウトと異なり、経営者株主の残存保有株式を買い取る合意ですので、経営株主以外の株主にはクロージング後の業績達成による配分をする必要はないことになります。経営者株主に株式をクロージング後も一定期間継続保有してもらうことによって、経営者株主には引き続きベンチャー企業とセイムボートの状態で経営に関与してもらうことが期待できます。

クロージング後の補償請求権の保全策

 株式譲渡契約では、例えば対象会社には偶発債務がないこと、法令違反がないこと、開示された計算書類は対象会社の財務状態を正確に反映していることなど、広範かつ網羅的な表明保証を売り手が行い、もしクロージング後に売り手の表明保証違反が発覚した場合には、買い手は売り手に対して表明保証違反により被った損害について補償請求ができるように手当てされているのが一般的です。買い手は、株式譲渡契約の定めに従い、この表明保証違反に基づく補償請求権の行使により、バリエーションの前提と異なる事実関係が発覚した場合には、事後的に買収対価を減額調整することができます。

 ベンチャー企業のM&Aにおいても、買い手としては、もし買収後、ベンチャー企業に紛争の発生、未払賃金の請求、法令違反、粉飾決算等の表明保証違反事由が発覚すれば、それによって買い手に生じた損害を、売り手に対する補償請求によって治癒したいと考えます。とりわけベンチャー企業は中小企業であることから、コンプライアンスをはじめとする管理体制が不十分であることが少なくないため、表明保証違反による補償請求に基づく事後的な価格調整の必要性は比較的高いといえます。

 しかし、ベンチャー企業の場合、大企業グループに属する親会社からその子会社を買収する場合と比較すると、以下に述べるように投資家株主の属性や経営者株主の補償資力の問題から、売り手による補償があまり期待できない場合が多いのではないかと思います。

 以下では補償請求権の保全策をどうすれば講じられるか、検討します。

VCその他の投資家に補償責任を課すことができるか

 まず、VCその他の投資家株主に、株式譲渡契約上、表明保証違反による補償責任を課すことができるかというと、株式譲渡契約上、ベンチャー企業に関する広範かつ網羅的な表明保証を求めることは交渉上難しい(すなわち、投資家株主はこの求めには応じない)場合がほとんどではないかと思います。投資家株主は、VCを含め、マイノリティ出資かつ、経営関与を想定していない純投資目的ですから、表明保証責任、補償責任を負うことによりベンチャー企業のリスクを負担する合理的な根拠が通常は認められないからです。このことは、社外取締役を派遣して、ハンズオンで投資していたVCであっても同様ではないかと思います。

 また、VCは彼ら自身の投資家が出資した投資事業有限責任組合などのファンドでベンチャー企業に投資しますから、IPOやM&Aによるエグジット後、それで得たキャピタルゲインを自らの投資家に分配しなければなりません。ですから、買い手から補償請求権を行使された場合に備え、キャピタルゲインで得たお金の一部をファンドに残しておくことは、VCのビジネスモデル上も難しい場合がほとんどではないかと思われます。

経営者株主へ補償責任を求める場合の課題

 結局、表明保証責任、補償責任は、株式の大半を保有し、かつ、ベンチャー企業の経営責任を負っている経営者株主に対して求めるほかありませんが、いくつか課題もあります。

補償資力の問題

 経営者株主は個人ですので、M&Aによるキャピタルゲインを得たとしても、補償請求をする頃には、次の事業の開始や他のベンチャー企業への投資などにより費消してしまい、補償するだけの資力がない可能性があります。そこで、補償請求権を保全するために、クロージング後に経営者株主が引き続き役員を担う場合には役員報酬請求権や、前述したアーンアウトの一環としての株式の代金支払請求権と対当額で相殺する方法が考えられます3

 なお、経営者株主がクロージング後は買い手企業グループの従業員として勤務する場合には、使用者は従業員の自由意思による合意がない限り賃金債権を相殺してはならないと解されていることから4、留意が必要です。

共同経営者の連帯責任を求められるか

 一人の経営者株主が株式の大半を持っているのではなく、複数の共同経営者が株式を保有している場合には、買い手の立場からは彼らに表明保証違反に基づく補償債務の連帯責任を求めたいところです。もっとも、共同経営者といっても、経営の関与度合いや持分比率は様々ですから、株式譲渡契約交渉において共同経営者全員が連帯責任に応じるか(連帯責任に応じるだけの経営責任が共同経営者全員にあるといえるか)は事案によるところでしょう。

実際に補償請求するかどうか?

 経営者株主は、一般的なM&Aの場合の売り手とは異なり、多くの場合、売り手であるとともに、買い手の企業グループで一緒に働く仲間であり、また、前述のようにそのリテンションやモチベーションの維持について最大限考慮しなければならない貴重な人材でもあります。このような状況の中で、もし実際に表明保証違反となる事由が発生した場合に、買い手としては、株式譲渡契約の合意のとおり、経営者株主に対して補償請求をした方が良いのか、それとも、補償請求することによる経営者株主のモチベーションやロイヤルティの低下に伴う離反等のダウンサイドを考慮すれば、あえて補償請求をしないか、請求をするとしても減額するか、などの検討をしていくことになるものと思います。

最後に

 以上、2回にわたりベンチャー企業を対象会社とするM&Aで考えられる問題点を3点あげてみました。日本ではベンチャー企業のM&Aはこれからますます増えていくものと予想されますので、今後、実務の積み重ねにより、M&Aのプレイヤーが気をつけなければならない「ベンチャーM&Aの法務あるある」が確立されていくものと思われます。

 また、ベンチャー企業のM&Aを成功させるためには、単に首尾よく買収価格など条件の目線が合い、クロージングを迎えられれば良いだけではなく、その後の経営者株主をはじめとするキーマンのモチベーション維持を含め「ベンチャー企業としての良さ」を活かした経営が特に重要ですので、買収プロセスだけでなく、ベンチャー企業買収実行後のPMI(Post Merger Integration ポストマージャーインテグレーション)の議論も活発になされると良いと思います。


  1. 買い手企業としては、M&Aにより買収対価を支払わなくても、単に経営者やチームを採用すれば良い、とも考えられます。それにもかかわらずアクハイアが行われる背景としては、投資契約上、経営者株主は職務専念義務の一環として退職が禁じられているため、他社に転職できないことから、M&Aにより投資家にもキャピタルゲインの果実を分配し、エグジットさせることにより、採用と代替させることなどがあります。 ↩︎

  2. 経営者株主と締結する経営委任契約や雇用契約で経営者株主が一定期間退職することを禁止する手当ても必要ですが、内容次第では有効性に疑問がありますし、退職禁止だけではモチベーションの維持としては十分ではありません。 ↩︎

  3. 補償請求権保全のために、単に買収対価の一部を後払いして、補償請求権と買収対価残額の支払請求権とを対当額で相殺する方法も考えられますが、一部後払いではキャピタルゲインが一度にえられないため、経営者株主からの抵抗がより強く、合意に至らないことが予想されます。 ↩︎

  4. 関西精機事件(最高裁昭和31年11月2日判決・民集10巻11号1413頁)、日本勧業経済会事件(最高裁昭和36年5月31日判決・民集15巻5号1482頁)、日新製鋼事件(最高裁平成2年11月26日判決・民集44巻8号1085頁) ↩︎

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