D&O保険と会社補償をめぐる動向

コーポレート・M&A

はじめに

 近時、コーポレートガバナンスに注目が集まっています。従来、日本はコーポレートガバナンスの面で諸外国に遅れをとっていると言われてきました。しかし、アベノミクス3本目の矢「民間投資を喚起する成長戦略」の具体化として2013年6月14日に公表された「日本再興戦略 -JAPAN is BACK-」において、コーポレートガバナンスの強化が1つの柱とされたことを皮切りに、「『責任ある機関投資家』の諸原則≪日本版スチュワードシップ・コード≫」(2014年2月26日公表)や「コーポレートガバナンス・コード原案」(2015年3月5日公表)、さらには経済産業省コーポレート・ガバナンス・システムの在り方に関する研究会により2015年7月24日付けで「コーポレート・ガバナンスの実践~企業価値向上に向けたインセンティブと改革~」(以下「経産省報告書」といいます)が取りまとめられています。

 このように政府主導による行動指針・提言の公表により、日本企業が真のグローバル企業として持続的に成長・発展し、熾烈な競争に打ち勝っていくために極めて重要な前提としてのコーポレートガバナンスにおける諸外国とのイコールフッティングが日本でも徐々に意識されるようになってきています。

D&O保険に関する議論の状況

 経産省報告書における議論は多岐にわたっており、具体的には、取締役会への上程事項、社外取締役の役割、役員就任条件としての会社補償や会社役員賠償責任保険(いわゆるD&O保険)、株式報酬などが取り上げられています。

 特に経産省報告書の別紙3「法的論点に関する解釈指針」(以下「本解釈指針」といいます)においては、従来必ずしも明らかではなかった法的論点について一定の解釈指針を示しています。かかる解釈指針が、経済産業省が事務局を務め、企業や学者、弁護士等様々なバックグラウンドを有する委員が一堂に会して議論し、法務省や金融庁もオブザーバーとして参加したうえで取りまとめられているという点で、影響力が大きく、一定の意義を有するものであるといえます。

D&O保険に係る保険料負担

 本解釈指針では、D&O保険に係る保険料負担についても触れています。従前は、普通保険約款に一般的に付帯されている「株主代表訴訟担保特約」(株主代表訴訟等で役員が敗訴した場合における損害賠償金や当該訴訟等に伴う争訟費用を対象とする特約)に相当する部分の保険料(保険料全体の約1割)を役員が個人で負担していましたが、本解釈指針においては、一定の手続を経れば保険料を全額会社が負担することも適法であるという考え方が示されています。

 これは、元々1993年の株主代表訴訟制度活用のための商法改正(1993年6月14日法律第62号)当時、株主代表訴訟敗訴時担保部分につき会社が保険料を負担することは実質的に報酬規制(現会社法361条)や役員の対会社責任における責任軽減制度(現会社法425条ないし427条)を潜脱することにつながり法的に疑義が生じるという議論がなされたことから、株主代表訴訟敗訴時担保部分を普通保険約款から切り離して特約として位置づけたうえで、当該特約部分については役員個人が保険料を負担することとしたという経緯があり、その後も特段見直しの議論がなされないまま現在に至っていたものです。

 しかし、本解釈指針による提言を受け、国税庁も、経済産業省からの照会に回答するという形で、株主代表訴訟敗訴時担保部分を普通保険約款において免責とせずに一体としてカバーする「新たな会社役員賠償責任保険」について、本解釈指針で示された一定の手続により会社法上適法に会社が保険料を負担する場合には、役員個人に対する給与課税の対象とする必要はないことを公表しています(「新たな会社役員賠償責任保険の保険料の税務上の取扱いについて(情報)」) 。
 これを踏まえ、1年ごとに更新されるD&O保険の更新等のタイミングで、保険料につき役員の一部個人負担から全額会社負担への切替えを行った企業が少なくないようです1

D&O保険の実務上の検討ポイント

 また、海外のD&O保険商品との比較等の観点から、経産省報告書の中で別紙2「会社役員賠償責任保険(D&O保険)の実務上の検討ポイント」が整理されたことを受けて、日本においても再び議論がなされ始めています2

【実務上の検討ポイント】
  1. 填補限度額の追加
  2. 告知と免責事由の分離
  3. 争訟費用の前払い規定
  4. 会社が損害賠償請求した場合の補償
  5. 保険契約終了後の補償の継続
  6. 退任役員の補償
  7. 組織再編に伴う補償の継続

 これらを踏まえ、国内の保険会社を中心に商品の見直しが行われるとともに、従前はD&O保険に加入はしていたものの、あまり関心がなかった企業も、保険契約の具体的内容について当該企業のニーズやポリシーに即した適切なものといえるかを改めて検証するようになってきています。

会社補償との役割分担

 D&O保険と会社補償は役員の経済的な負担を填補するという効果を有する点では同様であり、重複して備えておく必要はないのではないかという疑問をお持ちの方も多いようです。しかし、両方の制度が認められている国から役員を招へいしようとする場合には両方の整備を求められることが多いですし、両者の目的や建付け、填補範囲等には差異がありますので、いずれも備えたうえで、それぞれの特性を生かして適用場面に応じて上手く使い分けるのがよいと思われます。

 たとえば、D&O保険は、保険契約上、免責事由や免責金額、支払限度額などが定められることから、通常、損害や費用の全額を填補することはできないのに対し、会社補償は、一定の要件を充足する限りにおいて全額を補償することも(べき論は別途検討を要するとしても)理論上は可能であると解されます。
 また、D&O保険においては、会社は保険会社に対して保険料を支払うのみで、保険会社から役員に保険金が支払われる点で会社との関係が間接的であるのに対し、会社補償は会社から役員に直接支払われるため、経産省報告書にいう、役員・会社間の「構造的な利益相反類似の関係」がより直接的であり、特に対会社責任においては慎重な判断を要すると考えられます。

【D&O保険と会社補償の役割分担一例】

D&O保険 会社補償
補填の範囲 損害や費用の全額を填補することはできない(免責事由や免責金額、支払限度額などによる制約) 全額を補償することも理論上は可能(会社が設ける制度の建付け次第)
保険料の支払 保険会社から役員に保険金が支払われる(会社と役員との関係が間接的) 会社から役員に直接支払われる(役員・会社間の「構造的な利益相反類似の関係」がより直接的)

 さらに、会社としては、支払限度額を費消してしまい本来填補すべき場面で不足したり、保険金支払が膨らむことにより次回更新時に保険料増額や更新拒否がなされるような事態を懸念して、D&O保険の利用に謙抑的になるということも考えられます。

 このように、いずれか一方の制度では、役員の過度なリスク回避を防止し適切なインセンティブ付けを行う観点から必ずしも十分ではないと思われることから、D&O保険にすでに加入している場合でも、併せて会社補償の導入・整備を検討することが望ましいといえます。

会社補償に関する議論の状況

 会社補償については、経産省報告書において現行法の下でも認められるという考え方が公に示された点で一歩前進したものの、検討すべき実務上の論点が多岐にわたり、具体的に何をどう検討すべきかわからないといった声も実務現場では聞かれます。
 そこで、学界および実務界からの参画を得て「会社補償の実務に関する研究会」が立ち上げられ、日本企業の実態を踏まえつつ欧米の実務状況を参考に議論が重ねられたうえで、2017年5月25日に、現行法の下での会社補償に関する実務上の考え方を整理したものとして「会社補償実務指針案3が策定・公表されています。本指針案が、今後企業等において広く参照され、日本における会社補償の実務と議論の健全な進展に寄与することが期待されます。ただし、これはあくまで1つの考え方について整理されたものに過ぎず、各企業においてそれぞれのニーズやポリシーに応じた適切な形にアレンジしていく必要があります。

今後の議論の動向

 現在、会社法改正の議論の中でも、会社補償やD&O保険といった論点が取り上げられており、公益社団法人商事法務研究会に設置された会社法研究会が2017年3月2日に公表した「会社法研究会報告書」 においても言及されました。
 そして、2017年4月より開催されている、法務省における法制審議会-会社法制(企業統治等関係)部会でも会社補償やD&O保険が議題の1つとして掲げられており、引き続き議論がなされています。

 法制審議会では、D&O保険について、以下の点が論点として掲げられています4

  1. D&O保険契約の内容の決定手続として
    (i)取締役または執行役に委任できないとすること
    (ii)株主総会決議を要するとすること
  2. 事業報告における開示(またはD&O保険契約の内容を法律で制限すること)
  3. 利益相反取引規制の適用除外規定を置くこと

 同様に、会社補償については、以下の点が論点として掲げられています。

  1. 補償契約の対象として一定の費用(相当性)および損害賠償金(対第三者責任・善意無重過失)に限定すること
  2. 補償契約の内容の決定および補償契約に基づく補償の決定の手続として
    (i)取締役または執行役に委任できないとすること
    (ii)株主総会決議を要するとすること
  3. 事業報告での開示(補償契約の相手方、補償契約の内容の概要、当該事業年度における補償額)
  4. 利益相反取引規制の適用除外規定を置くこと

 このように、D&O保険や会社補償に関してはさらなる議論の発展が期待されていることから、現行法の下での整理とともに、今後の改正動向も注視していく必要があります。


  1. 詳細は、松本絢子「新しいD&O保険への実務対応〔上〕-保険料全額会社負担の解禁を受けて-」(旬刊商事法務2100号77-82頁)および武井一浩=松本絢子「新しいD&O保険への実務対応〔下〕-保険料全額会社負担の解禁を受けて-」(旬刊商事法務2101号35-39頁)を参照ください。 ↩︎

  2. D&O保険をめぐる議論については、D&O保険実務研究会編「成長戦略と企業法制 D&O保険の先端I」(商事法務・2017年)も参照ください。 ↩︎

  3. 詳細は、武井一浩=中山龍太郎=松本絢子「会社補償実務研究会『会社補償実務指針案』の解説」(旬刊商事法務2134号20-29頁)も参照ください。 ↩︎

  4. 法制審議会資料1「企業統治等に関する規律の見直しとして検討すべき事項」、資料4「役員に適切なインセンティブを付与するための規律の整備に関する論点の検討」も参照ください。 ↩︎

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