人的資本への投資は人員数では計れない

コーポレート・M&A
大津 克彦

 企業情報を開示する各種の報告書では「人材戦略」や「人的資本への投資」など「人材」が重要なファクターとして報告されている。会社概要を見ると従業員数や社員数が記載されているが、その数は企業の実態を正しく表しているのだろうか。法定開示書類では「従業員数(臨時雇用者数)」と記載し、派遣やパートなどの非正規雇用社員をカッコ書きで区分開示している。では、冒頭の「人材」に関する施策は雇用形態を踏まえて語られたものだろうか。

 実は「従業員」という言葉の定義・範囲は労働基準法等の法律で定められてはいない。法定開示以外での従業員数の示し方は雇用契約に基づいて働くアルバイトやパートタイマーを含めた総数としても、正規雇用社員だけをカウントしても、いずれも問題はない。

 コンビニエンスストアをはじめ店舗を多数運営する小売業や飲食業の多くは、このパートタイマーやアルバイトによってオペレーションが成り立っていると言える。また、企業へ技術者等の専門性を活かした派遣を行っている事業会社も、人材の優れた能力を即戦力として価値を提供している。企業戦略として語られる社員教育、従業員教育、それらの人材育成にはパート社員をはじめとする非正規雇用社員は含まれないのか。非正規社員がビジネスモデルの中核を担う企業も珍しくない中、人材に対する教育投資の必要性は今まで以上に高まっている。

 昨年5月に経産省より発表された「価値協創ガイダンス」において付加価値連鎖(バリューチェーン)の「戦略」に競争優位を支えイノベーションを生み出す根本的な要素は人材であると示されている。人的資本への投資は、企業の成長戦略において重要な経営課題であり、投資家にとっても有益な情報となっている。その中で、正規雇用者、非正規雇用者、この区分は投資家にはどのように認識されるのだろうか。そして、様々な採用区分名称が使われているが、そこから読み取れるものは何か、また、事業モデルにおける人的構成によるリスクはないのかを投資家に説明することが必要だろう。

 事業リスクには、自社の努力で低減できる労働者問題や経営層のガバナンスがある。数年前に起きた食品偽装や食品の製造工程での異物混入事件では、実行者は非正規社員であり、その犯行のきっかけは正規社員と非正規社員の処遇の差に対する不満であったと自供している。長期雇用を前提としない非正規社員の場合、投資収益の回収期間が短いため、企業は教育投資するインセンティブを持たない等の理由から、非正規社員に対する人材育成・教育投資に消極的であった。人材育成は、同じ会社で働く仲間として誰かが誰かを外圧で「育てる」ものではなく、雇用者個々の資質や適性が最大限に開花するように正当に評価し、「働きやすい環境」とそれによる「育つ環境」が必要であると考える

 企業の将来を担う「従業員」。政府の働き方改革の推進もあり、その契約形態の多様化はあれども、働く者の意識や満足度の低下は、企業にとって経済的な損失となるリスク要因になりかねない。また、2013年の改正労働契約法の施行から5年を経過した現在、新たに無期労働契約者が誕生する。短期契約の「雇用調整弁」としての契約雇用は難しくなる。一方、長期的な視点に立って社員育成を実施することが可能になるなど、企業にとってこれを機会と捉えれば人的資本を強化する事も可能だ。投資家が評価するのは単なる財務上に表れる人件費ではなく、また人数でもない。企業の価値創造を実現するイノベーションを生み出すのは人材であり、その人材を育てることは将来を見据えた成長戦略への投資だと捉えている。労働人口の減少傾向が続く現在、正規・非正規の雇用にかかわらず、いかに労働生産性を高め事業の存続と発展を遂げるか、人材戦略は経営上の重要な課題として問われている。

本記事は、株式会社ディスクロージャー&IR総合研究所が発行している「研究員コラム」の内容を転載したものです。

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