2016年のヒット映画から考えるエンタテインメントと契約の現在

知的財産権・エンタメ

 2016年を振り返ると、日本映画のヒットが目立つ1年となりました。庵野秀明氏が脚本・編集・総監督を務めた「シン・ゴジラ」は興行収入が80億円に上り、新海誠監督の長編アニメ「君の名は。」は、興行収入が約200億と、日本映画としては歴代2位となる快挙を果たしました。また、クラウドファンディングによる資金調達で製作されたアニメ「この世界の片隅に」は、小規模公開にも関わらず、興行収入が4億円以上と、話題の映画となりました。

 今回BUSINESS LAWYERS編集部では、映画や音楽などエンタテインメント領域における法実務を専門とする青山綜合法律事務所の内藤篤弁護士に、映画のつくられ方や法的課題、日米の比較論など、日本映画の実情について幅広くお話を伺いました。幼少時代から映画好きという内藤弁護士は、映画・音楽・演劇などのエンタテインメント分野において契約交渉や紛争処理を専門としておりこの分野の第一人者です。さらに、趣味が高じて、自身で名画座「シネマヴェーラ渋谷」を運営する異色の弁護士でもあります。

日米でみる、資金調達の違い

「シン・ゴジラ」「君の名は。」「この世界の片隅に」、これらの今年ヒットした映画は、製作方式にそれぞれ違いがあります。この違いにも注目が集まった1年にも感じましたが、内藤先生の見解はいかがでしょうか。

 「シン・ゴジラ」のように、東宝が単独で映画製作を行うようなケースは例外でしょう。「この世界の片隅に」ではクラウドファンディングが一部活用されていますが、さすがに全ての資金を調達しているわけではないと思います。だから、現在の映画製作手法としては、「君の名は。」のように製作委員会方式が主流であることは間違いありません。

 製作委員会方式については、功罪という意味で、昔から疑問視されてきた部分もありますが、そういった負の部分も含めて、実務的に定着してしまったという見方をしています。

今年ヒットした「シン・ゴジラ」「君の名は。」「この世界の片隅に」の映画パンフレット

アメリカでは、ワーナー・ブラザーズやUIP、20世紀FOXといった大手のメジャー映画会社が、単独でリスクマネーを投じて製作していると聞きましたが。

 メジャー公開しているものは最終的にはそうなりますが、製作過程ではわりとプロデューサー側にリスクを持たせてつくらせています。つまり、映画に対するファイナンスのシステムが確立しているため、プロデューサーはそれなりの企画であればお金を借りられるようになっています。ただ、モノは映画なのでリスクはあり、銀行は高い金利を取ります。そういった前提で映画がつくれるようになっています。つくられたモノを、メジャーはお金を出して、金利も含めて買うことによって、最終的にリスクを取りますが、映画が完成するまではプロデューサーがリスクを負う、そういうリスクの分け方をしています。

日本とアメリカでは、映画のつくられ方にどのような違いがあるのでしょうか。

 物理的な違いはありませんが、資金調達という面では全く別物と言っていいでしょう。例えば、「10億円の映画をつくりましょう」となった場合、簡単に言うと日本は「10人から1億円ずつ集めてつくりましょう」となります。製作委員会方式ですね。要するに、参加メンバーが、各自自己資金を持ち寄ってつくるわけです。この時、お金を出すタイミングできちんと契約書がつくられているわけではありません。プロデューサーはクランクインに間に合わせるために、中心となる会社にまずお金を出してほしいので、とりあえずお金を集めてから製作が進められていきます。製作委員会に参加するメンバーは、何度も繰り返して参加する者も多く、お互いに事情も通じ合っていますから、業界内の慣習で製作を進められるんですね。

 他方で、銀行によるファイナンスの場合だと、そういうわけにはいきません。きちんと契約書を締結してからお金が出されます。それがアメリカの資金調達の基本です。

 自己資金持ち寄り型の日本は、象徴的に言えば、お金の出し手の経理部を説得すればよいわけです。「万が一映画ができなかったらお金を返します」というそれだけの約束で、たとえば、まずは1億円のうちの30%を出してもらえるようなところからスタートすることができます。

日本は昔ながらの古いやり方があって、諸外国に比べて契約書を交わすといったことに対して意識が低いように思いますが、どうでしょうか。

 さすがに主演クラスとの契約、主要スタッフとの契約については、きちんと結んでいます。しかし、日本の場合、契約書はたいてい後付けになっています。映画ができてから結んでいるというわけです。

後からの契約となると、製作途中でトラブルにはならないのでしょうか。

 なくはないですが、現場では昔からそういうものだとなっていますので、契約書本来の意味は半減していますね。

内藤篤弁護士

製作委員会方式の功罪とは

日本で製作委員会方式以外のものはどれくらいあるのでしょうか。

 現在はほぼないでしょう。50〜60年代には、現在のアメリカのようにプロダクションが映画を製作して、メジャーに持ち込んで買ってもらうというスタイルがそれなりにはありましたが。

「シン・ゴジラは製作委員会方式ではないからヒットしたんだ」「いや、そうではない」といった議論がみられますが、これについてどう思われますか。

 功罪の「罪」の方ですね。製作委員会方式では、10社いれば10通りの意見があり、そうなると最大公約数的なシナリオに落ち着かざるを得ないからエッジの効いたものがつくりにくいと、よく言われてはいますよね。

 だからと言って、製作委員会方式だからおもしろくないかというと、そこはストレートに結びつかないでしょう。私自身、いくつか製作委員会方式ではない映画を見てきましたが、その中には「シナリオとして独りよがりだよね?」とか、「こういうのは何人かの目を通した方がよかったんじゃない?」っていうツッコミを入れたくなるものもありますよ。いじりすぎても、最大公約数に収束してしまう弊害はあるし、まあ、程度問題ではあるでしょう。

コンテンツのおもしろさ・おもしろくなさは、つくり方に直結しないということですね。では、製作委員会方式だと権利が分散されて保有されるため、二次利用の流通過程においてスムーズに権利処理ができないという弊害が出るという意見は、実際どうでしょうか。

 権利の所在がわからないという批判があるようですが、そんなに重要なのか?とも思います。○○製作委員会として、全く顔を持たないものであるかというと、そんなことはありません。幹事会社を含めて製作委員会のうちのどの会社に連絡しても、「その担当はうちではなく、どこどこですよ」と言ってくれるわけですし、またそうした問い合わせが日に何十件もあるわけではありませんので、そんなに大きな弊害とは思えません。

新しい利用のされ方がある時など、各社集まって決めなくてはいけない場面もありそうですが、どうでしょうか。

 通常、製作委員会での契約だと、「その他の特定されない理由については、幹事会社に一任」と書いてあったりしますが、実際、幹事会社の裁量だけで決めるかというと、そこは一呼吸ある気がします。

 利用者側にとっては素早い判断が出ないのは一つの弊害かもしれませんが、「新しい利用」というものは、そう滅多にあるわけではありません。本当に新しい利用がなされる場合は、脚本家や監督などと協議しないといけない可能性もありますので、時間が取られるのは仕方ないように思います。

最近では、アマゾンプライムなどで日本のテレビアニメや映画を見ることができますが、ドラマなどの実写は見られません。これはなぜなのでしょうか。

 アニメはテレビ放映のものでも劇場版でも製作委員会方式でつくられていますから、映画全般と同じく二次利用として当然に使われるスキームになっています。一方、テレビの実写番組については、配信には出にくい構造になっています。俳優などキャストとの間で、映画型の契約がしづらい状況になっています。つまり、オールライツを取得しようとする場合はギャラの問題が発生します。事前の権利処理に対する対価を払わないことで、制作費用を抑えようという構造なわけです。また、日々大量につくられるドラマにおいて、それを全キャストを相手に交渉する手間ヒマの問題もありますしね。

内藤篤弁護士

あるべきコンテンツのつくり方

内藤先生の著書の中で、「『つくる前の静態的な著作権』と『つくった後の動態的な著作権』とを区別し、後者については法律ではなく、当事者間の合意に委ねるべきだ」というようなことが書かれていましたが、現在も同じようなお考えでしょうか。

 映画ができてから契約を結ぶような風土の日本で、創作後の権利処理に関する部分を法律からなくしてしまったら、権利の所在をめぐって当面は大混乱になるでしょうね。そうすると、しょうもない裁判が散々起こされて、痛い目を見た挙句にプロデューサーは「ドアタマで契約を結ばないとダメなんだ」と認識するようになり、そうして契約慣行が定着するのかもしれません。ただ、そこに至るには相当の混乱の時代を覚悟しないと、今となっては難しいかもしれないなと思っています。

超時空要塞マクロスや宇宙戦艦ヤマトなど、これまでにいくつも裁判が行われているにも関わらず、まだ懲りていないのが意外でもあるのですが(笑)。

 このような状況の要因として一つは、契約的なものを内に一定程度抱え込んだ著作権法というものに頼れる部分があるということ、もう一つは、契約書がそろわないとお金が支払われないような、第三者ファイナンスによる資金調達ではないことが挙げられます。

 他方で、著作権法の改正論の一つに、「著作権契約法をつくるのがいいんじゃないか」という提案が一部にありますが、そこで試案として出てきているのが、「今の著作権法の契約に関わる部分をリフレーズしました」みたいなもので、「これ、なんの意味があるの?」っていう類のものだったりします。

 懲りないという意味では、なかなか懲りませんね(笑)。音楽業界で専属実演家契約の解釈をめぐる鈴木あみ事件などがあって、そこでは、アーティストと所属事務所の契約が終了した際の取り扱いをめぐる条項が裁判所の槍玉にあがったものでしたが、その後においても、同様の条文が使われています。やはりそれは「ムラ社会」としての「結束の強さ」を物語るものなのでしょう(笑)。

「著作権法27条・28条はなくせ」「日本の法律は変わっていない」など批判の声もありますが、どう思われますか。

 それぞれに「こうあるべきだ」という議論はあっても、いざ改正するとなるとなかなか難しいものです。だから著作権法の改正は、部分的なところ、はっきり言ってどうでもいいところを触るだけになってしまいます。また、よっぽど強い理由がない限り、もともとある条文を削ったりはしないでしょうね。法律の枠組みを変えることは、そう簡単にいく話ではありませんよ。

クールジャパンとして日本のアニメが世界的に注目されていますが、このような状況下で、明るい未来は待っているのでしょうか。

 コンテンツは、それ自体のみならず、製作方法までを含めて、ある種の文化といえるでしょう。ですから、日本のコンテンツをアメリカ流に「金を払うんだからガチガチの契約を結ばないとダメ」というかたちでつくって、同じようにおもしろいクオリティのものができるかというと、そこは疑問です。契約だけガチガチのものをつくっても、制作現場はそれとはまったく無関係に動くでしょうし。

 例えば、ハリウッド資本のもと、日本で日本のプロダクションが実写を撮影したり、アメリカのキャラクターを日本のアニメ制作会社が日本風のテイストでキャラクターを動かしたり、そういったものがたまにありますよね。そういったコンテンツの裏側で交わされる契約書はほぼアメリカ方式のものですが、日本側の制作現場は、「こんな契約書ではつくれない」と文句を言っています。

それは権利の縛りが厳しいということでしょうか。

 権利というよりも、クリエイティブに関わる制約に嫌気をさす、と言うのでしょうか。例えば、ファースト・シーズンを放映して、それなりに人気だとセカンド・シーズンも放映となるわけですが、セカンド・シーズンを選択する権利はアメリカ側が持っているわけです。しかし、制作のクリエイティブ現場としては、ファースト・シーズンをつくり終える前に、セカンド・シーズンの打ち合わせを始めなければいけません。現場では「よし、セカンド・シーズンつくろうぜ」と盛り上がっていても、管理部門は、「契約上は、アメリカ側のOKがでないとつくり始められない」というわけです。そんなこといっても現場の方では、「そんなこと、今さら止められないでしょ」となります。

 確かに日本であれアメリカであれ、やれる保証もないのに打ち合わせがなされて、脚本の請求書を回されても困るというのは同じはずですが、ある意味、ある時は許しながら、うまいこと手綱さばきをしながら、だましだましやっていくのがコンテンツづくりの一つのあり方なんでしょうから、完全に契約でがんじがらめにしちゃうのはどうなんだろうと思っています。

日本はアメリカと比べて緩やかにやっているということでしょうか。

 よくあるのは、現場が暴走してセカンド・シーズンが決まる前に脚本を仮発注し、結局セカンド・シーズンに入らないで終わる、といったようなケースです。そうなると、そこは貸し借りの話になります。「今回の脚本料はまけてよ。次の企画でなんとかするからさ」っていうことです。そういうことは、アメリカでもやっているんでしょうが、契約書の世界になると全く出てこなくなります。コンプライアンス的に考えると変でしょ?ってなっちゃうんですが、それがないとコンテンツづくりは難しいだろうなと思います。

なるほど。確かに、慣習的に行われてきた製作方法の実務もコンテンツに影響を与えているのであれば、「べき論」に基づく上からの制度変更で変えようとするのではなく、現場からの要望で少しずつ変わっていくほうが正しいのかもしれないですね。ありがとうございました。

内藤篤弁護士

(取材、構成:BUSINESS LAWYERS編集部)

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